「高い壁を乗り越えた時その壁は、貴方の砦となるでしょう」の言葉を信じて
橋田行子
早、25年を過ぎたのかと振り返っています。
私のユニセフの出会いは、下の子供が中学生になり、「何か社会のためにできることは」考えていた時に、偶然にもユニセフスタディツアー公募に出会い、参加がしたのがきっかけです。その当時、最もベールに包まれた国と言われていた国、パキスタン・インドです。
タリバン政権の影響で、女性隔離の問題や隣国の戦場下からの移民の問題など、全て衝撃的な視察がスタートでした。 そしてその見返りとしての活動が、現在の香川県ユニセフ協会の前身の、香川県ユニセフ募金事務局の開設(1995年)でした。生活行動範囲でしかいなかった者が、ユニセフの活動を通じて、日本の北から南までの多くの人々と出会いがあり、今でもお付き合いさせていただいている友人は宝になります。
また、阪神淡路大震災(1995年)で、兵庫ユニセフ協会のメンバーが被災になった時、そして、東日本大震災(2011年)の福島ユニセフ協会をはじめ各協会の皆さんへの支援につなぐことができたのも、ユニセフ活動のネットワークのなせるものと感じています。
日本中は「震災」が起こり、ボランティア意識が高まり「人々のための支援活動」も積極的に発信していただけるようになりました。そしてそのことは、グローバル社会に意識を向けて、世界に目を向ける人々も多く登場。ユニセフにもボランティアさんの参加も多くなりました。
そして、ボランティアさんの活動は成果となり、ユニセフ香川県支部(2004年)現・香川県ユニセフ協会の設立になりました。 まず支部設立には、発起人会を得て設立大会に進むのですが、一番大切な理事をはじめとする人選ですが、当時の私には何の人脈もなく誰にお願いして良いのか、行く先もない状態でした。ネット情報でなっていただけそうな人を各分野に分け、電話をおかけし、まず会っていただきユニセフを説明し、後日ユニセフの理事の依頼。スムーズに承諾いただける方や、立場や御事情で承諾いただけない方がありましたが、今から考えると本当に感謝でいっぱいです。まず協会の顔でもある会長として、香川大学の木村好次学長には、たくさんの機関の方にお世話になりながらお会いして、会長を承諾いただきました。その時にはあまりにもうれしくて、お昼に豪華ランチを関係者と食べ「お祝いの会」なるものを?
私のユニセフ活動の25年を振り返り思うことは「高い壁を乗り越えた時その壁は、貴方の砦となるでしょう」の通り、ユニセフ活動で出会った人々や感動は今も、私の心の支えとなり助けていただいています。これからもユニセフ活動が多くの人につながっていくことを願っています。 ( 2019年9月)